あの日のカロリー

日々の食事の記録、雑感に次ぐ雑感

年をとったなと感じるとき

最近「年をとったな〜」と感じたのは、2018年の「M-1」を見たときでした。

私はお笑いに詳しいわけでは全然なくて、テレビでぼんやり「M-1」を見ているだけの人間です。
毎年なんとなく「M-1」は見ていたのですが、毎年、優勝するコンビは、めちゃくちゃ超絶おもしろいなって思っていました。

だけど、2018年は、初めて、霜降り明星のことを「超絶おもしろい」って思いませんでした。最後まで残っていた、和牛とジャルジャルはすごいおもしろいって思ったのですが。

霜降り明星は、本当は「超絶おもしろい」のだと思います。だって、あれだけ錚々たるお笑いのトップにいる方たちが審査して優勝しているんですから。だから、私がその魅力に気づけていないということだと思うんです。

私はお笑いの知識もセンスもない人間ですが、それでもこれまでは、さすがに M-1で優勝するような漫才のおもしろさやヤバさには気づけるだけのアンテナがあったのでしょうが、それが今はなくなってしまったということなんだと思います。

つまり、これは、紛れもなく、「年をとった」っていうことなんでしょうね。


あと、私が霜降り明星を見て一番に感じてしまったのが、「ブツ切り感」でした。
一定のテーマや設定はあるんですが、その中にたくさんある「ボケとツッコミ」のセットの一つ一つが全て独立していて、ストーリーとかそういうのを感じることができなかったので、「ブツ切り感」をすごく感じてしまったんです。

で、この「ブツ切り感」は他のものにも感じることがあって、例えば、テレビのバラエティー番組の編集の仕方にそれを感じます。いつからでしょうか、テーマや番組名にあまり関係がなくても、ただ放送したい情報を並べて、そこに無理矢理お笑いの要素を乗っける、みたいな編集がやたら増えてきたんですよね。で、ただただ言いたい情報を並べているだけなんで、「ブツ切り感」が出るんですよ。ストーリーとか、その番組固有の意思とかがないから。今、ストーリーがあるバラエティーを作っているのは、テレ東とテレ朝ぐらいかなと思います。

そんで、私はこの「ブツ切り感」が苦手なんですよね。でも世の中には「ブツ切り」のものが増えていて、しかもそれが評価されている。

「年をとった」と感じるということは、「自分がよく理解できないものが増えていく世界に戸惑っている」っていうことなのかもしれない、って思いました。